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歴史

#77 歴史上の有名人の驚くべき真相を追え!

「ナポレオン・コンプレックス」という言葉を知っていますか?

 

みなさんが学校で習ったことは、本当に正しかったのか? 大人になるまでなんとなく思い込んでいたけれど、真実はまったく違っていた!ということは意外と多いものです。

 

イギリスでベストセラーになっている『頭のいい人のセンスが身につく世界の教養大全』から、今回は歴史上の有名人について、驚くべき真相のあれこれを。

 

Q 世界ではじめて飛行機で飛んだのは誰でしょうか?

 

もちろん、ライト兄弟! そう習ったはずです。

 

しかし、実は、ライト兄弟ではないのです。

 

名前はわかっていませんが、ライト兄弟よりも50年早く飛行機で飛んだ男がいるのです。イギリスはヨークシャーの准男爵、ジョージ・ケイリー卿に仕えていた使用人です。

 

ケイリー卿は、航空史の専門家のあいだで「近代航空学の父」と呼ばれる人物です。彼は鳥の飛行を科学的に観察し、その空中飛行に必要な力を「揚力・引力・推力」の3つに分類し特定しました。これは人類初の快挙でした。この原理にもとづいて、ケイリー卿は飛行マシーンの模型を次々と試作するのです。

 

1804年、ケイリー卿は世界初の模型グライダーを完成させ、その5年後に実物大のグライダーのテスト飛行に成功しました。ただし、これは無人機で、その後に人間を乗せてもよいと判断するまでに30年かかりました。

 

1853年、英国北ヨークシャーの町スカボロー近くの渓谷において、この勇敢な准男爵は、嫌がる馬車の御者(ぎょしゃ)を説き伏せ、新案の飛行マシーンで谷を渡らせました。

 

この無名の御者こそ、空気より重い機械に乗って空を飛んだ最初の人間なのです。この偉業に御者本人は少しも感動せず、着陸後まもなく辞職を申し出たといいます。

 

いわく「私の仕事は馬車を繰ることで、飛ぶことではありません」と・・・

 

近代技術によって「ケイリー卿のグライダー」を模したレプリカが製造され、何度も渓谷を渡ることが成功するようになったのは、1974年のことです。現在、そのレプリカはヨークシャー航空博物館に展示されています。

 

ところで、ケイリー卿が後世に残した遺産は「翼」だけではありません。グライダーの着陸装置を開発する際、それまでになかった画期的なホイールも考案しました。

 

軽量でありながら、着陸時の機体にかかる衝撃を吸収する十分な強度を持つ装置が必要だったため、テンションホイール(ワイヤースポークで車軸と車輪部分が結ばれたホイール)を考案しました。このテンションホイールは、自転車や自動車の開発に大きく影響を与え、今も幅広く使われているのです。

 

ケイリー卿の発明はさらに続き、転覆してもすぐに反転して正常な姿勢を保つセルフライティング救命ボート、現在のブルドーザーに使われているキャタピラ、線路の踏切に設置されている自動信号機、車のシートベルトなども、すべてケイリー卿の発明品なのです。これらはすべて公共の福祉に役立てるのが目的だったのです。

 

ライト兄弟による有人動力飛行の偉業は、このちょうど半世紀後、1903年に達成されました。2人はケイリー卿に刺激され、さらに、もう1人の航空界の陰のヒーロー、オットー・リリエンタールからも影響を受けたといいます。

 

ドイツ航空工学のパイオニアであり「グライダー王」として知られるこの技師が、何度も空を飛んだ最初の人間です。ライト兄弟が現れる前の10年前に、すでに2,000回以上のグライダー飛行に成功しています。

 

彼の飛行実験は、1896年に墜落死するまで続けられました。彼は最期にこう言い残しています。「小さな犠牲は払われなければならない」と・・・

 

Q ナポレオンの身長はいくつでしょうか?

 

「おちびさん」というイメージがあるナポレオン。

 

しかし、実は、格別背が低かったわけではないのです。

 

ナポレオン・ボナパルトが小男だったというのは、いまや世界の共通認識となっていますが、これは誤訳と、ある種のプロパガンダが結びついて生まれた迷信なのです。

 

ナポレオンの検死解剖は、1821年、かかりつけの医師だったフランチェスコ・アントンマルキによって行われました。その記録では、ナポレオンの身長は「5/2」。イギリスの単位に換算すると、5フィートと6.5インチ(169センチメートル)になります。

 

当時のフランス人男性の平均身長は、5フィートと4.5インチ(164センチメートル)。

ということは、ナポレオンの身長は彼の周囲のほとんどの人々より高く、さらに、当時のイギリス人男性の平均身長(5フィート6インチ、つまり168センチメートル)よりも高かったことになります。

 

同じ時代に長身といわれたウェリントン公爵の身長よりほんの2.5インチ低いだけで、なおかつ、ナポレオンにとってもう1人別の強敵だったホレーショ・ネルソン子爵(アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争などで戦ったイギリス海軍提督)より2.5インチ高かったということになります(ちなみに、ネルソン子爵の身長はわずか5フィート4インチ、つまり162センチメートルだった)。

 

1799年に権力を掌握してまもなく、ナポレオンはあらゆるフランス軍兵士に身長による資格制限を設けました。

 

例えば皇軍精鋭部隊の擲弾兵たちは、少なくとも5フィート10インチ(178センチメートル)の身長がなければならず、また、彼直属の近衛隊だった精鋭騎兵部隊も身長5フィート7インチ(170センチメートル)以上の兵士たちで組織されました。

 

ナポレオンが権勢を振るったほとんどの期間、彼は人並み以上に背の高い兵士に囲まれていたことを意味します。その結果、ナポレオンは小柄だというイメージができあがったのかもしれません。

 

イギリスが生んだ偉大な風刺画家ジェームズ・ギルレイは、ジョナサン・スウィフト作の小説『ガリバー旅行記』からヒントを得た作品『ブロブディンナグの王とガリバー』で、史上初にしてもっとも痛烈な小男ナポレオンのイメージを描き上げました。

 

この風刺画では、イギリス国王ジョージ3世がナポレオンを手のひらに載せ、単眼鏡を片手にしげしげとナポレオンを眺めながら、こうコメントしています。

 

「おまえのような、ちっぽけで汚らわしく卑劣な爬虫類が、よくものうのうと地上を這い回っていられるものだ」

 

「小柄なナポレオン」神話が延々と語り継がれるのは、「ナポレオン・コンプレックス」という言葉が広く知れ渡ったからでもあります。

 

これは「背の低い人には劣等感があり、その反動で攻撃的な性質を持つ」といわれる俗信です。しかし、この俗説には科学的な証拠はほとんど認められていません。

 

Q 絶世の美女クレオパトラは、ヘビにみずから咬まれて死んだのでしょうか?

 

そう、この話も、まことしやかな嘘。

 

現存する彫刻と貨幣から明らかにわかるのは、彼女がシェークスピアに描写されたほど美女ではなかったということ。

 

しかし、プトレマイオス朝(古代エジプトの王朝)の王たちの(何世紀ものあいだくり返された血族結婚の結果)どんぐり眼の太った顔立ちとは一線を画す容貌の持ち主だったこともはっきりしています。

 

その生涯はエジプトの歴史と同一視されています。クレオパトラは18歳でエジプト女王になり、20年以上にわたり国を支配しました。

 

彼女はエジプト語を習得したプトレマイオス朝初の王として、また、エジプトの民族衣装をまとって肖像画を描かせた王としても知られています。

 

その一方で、姉と弟の殺害を計画するなど、みずからの権力を脅かすものを容赦なく排除し、ついにもう1人の弟(であり夫でもあった)プトレマイオス13世をも追放しようと国中を内乱におとしいれました。

 

高位の廷臣たちがプトレマイオスの側につくと、すかさずクレオパトラは、当時、共和制ローマの高位政務官「ディクタートル(独裁官)」に選ばれてまもないジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)を誘惑します。

 

このとき、シーザーは世界でもっとも強力な軍隊を率いる指揮官でもありました。クレオパトラはシーザーとともに、あらゆる反対派を制圧したのです。

 

シーザーが暗殺され、ローマに内乱が起きると、今度は彼の副官マーク(マルクス)・アントニウスを誘惑します。こうした動乱の真っただ中でさえ、クレオパトラは暇を見つけては化粧品に関する本を書きつづっていたといいます。

 

戦いが終結したのは、オクタウィアヌス(のちのローマ帝国初代皇帝アウグストゥス)率いるローマ軍が、アクティウムの海戦(紀元前31年)でマーク・アントニウスを倒したときでした。

 

アントニウスは、クレオパトラが自害したと信じてみずから命を絶ち、その後、クレオパトラも命を絶ちました(最新の調査によると、エジプトコブラに自分を咬ませて死んだ史実はまったくないそう)。

 

クレオパトラが「最後のファラオ」だったのです。そしてローマ人がエジプトから膨大な量の金を持ち出したため、共和制ローマの元老院は即座に金利を12%から4%に下げることができたといわれています。

 

みなさんが学校で習ったりしたことは本当に正しかったですか? それは思い込んでいるだけだったのかもしれませんよ😉

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