「そして男は時計を捨てた・・・」にようこそ!

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社会

どちらを作ってもいい、どちらを愛してもいい・・・

例えば、サブスクリプションに多数加入していると、時間はいくらあっても足りません・・・

現在は膨大な量の「コンテンツ」と共に暮らすのが当たり前になりました。その結果、作品との付き合い方や生活も変わったのです。そこに戸惑いや違和感を覚える人も少なくないのです。

 

しかし、それは悪いことなのでしょうか?

 

異論はあるでしょう。なぜなら、変化は変化にすぎず、いいも悪いも結論づけられるものではありません。「良かった」と思える過去ですら、さらに過去から見れば変化の過程にすぎないからです。

 

では、今の状況をどう捉えるべきなのでしょうか? 人とコンテンツの付き合い方の変化、という観点で考えてみましょう。

 

今は多数のコンテンツに囲まれ、人々が暮らしています。それはどういうことなのでしょうか? まずはもう少し、分析!😉

 

今の状況は、2つの変化から生まれたものと想定してみます。

一つは、月額料金制による使い放題、いわゆる「サブスクリプション」の台頭です。音楽や映像作品、一部書籍などで、コンテンツ視聴の限界が「購入資金」ではなく「可処分時間」に切り替わったのです。「これ以上見られない」のはお金の都合ではなく、「空き時間が足りないから」ということになったわけです。

 

そしてもう一つが、WebとYouTubeなどの「ネットによる無料サービス」の台頭による変化です。スマートフォンのゲームアプリ(主にフリー・トゥ・プレイのもの)も、ここに含んでいいかもしれません。こちらも費用に依存しないコンテンツ消費、といえるかもしれませんが、むしろより大きな変化は、コンテンツの消費単位がより小さなものになった、ということでしょう。楽曲なら1曲もしくはサビだけ、雑誌や書籍1冊ではなく記事1本、動画なら短編もしくはダイジェスト・・・という変化です。

 

結果として人がコンテンツに触れる方法も利用単位時間も変わったのです。その変化の一つが「量の増加」といっていいでしょう。

実は「コンテンツが増えた」という現象について、もうちょっと違う見方も出来ます。コンテンツを本数として見た場合、数が増えていることに事実としては同意するものの、各個人から見える現象は、性質が違うかもしれないからです。

 

まず作品へのリーチに関して、過去に存在していた巨大な地域差が解消されていることは重要です。

ネット配信が定着する以前、日本においてのコンテンツ流通は「店舗」と「テレビ」、そして「ホール」(映画館やコンサートホール)が軸でした。

 

店舗流通には「在庫」という限界があり、一部の名作と新作を中心に回転せざるを得ません。さらに地方では、その店舗の数も限られています。新作を流すためのテレビのチャンネルも少なく、映画館・コンサートホールの数も少ないのです。

都市部と地方の格差はいまだ存在します。しかし、ネットでのコンテンツ流通が本格化した結果、格差を埋めるためのコストは時間・金額の両面で大きく下がり、ギャップは小さくなってきたといえます。

つまり、「コンテンツが増える」ということをどう捉えるかは、都市で住む人と地方で住む人の間ですら認識が異なるということです。

 

また、ネットに多量のコンテンツがあること=その人が多量のコンテンツに触れている、とも限らないのです。

シンプルな話、ネット上では積極的にならないと作品を探しにくいのです。画面の上に並ぶリストやアイコンの量はたかだか数十件です。店舗などに入った時、目に入ってくる製品の数の方がずっと多いのです。だから、「レコメンド」機能などを使って、その人が興味を持ちそうな作品を提示して、画面の持つ狭さというハンディーをカバーしようとしているのです。

 

過去の作品も含めると、確かに触れられる作品の数は増えてきています。しかし、実際に増えている数と「人が接触できる数」はイコールではなく、触れる数も人によって相当の違いがあるのです。

 

では、なぜ私たちは「コンテンツが増えて、時間がなくなった」と感じやすくなっているのか?

そこには「時間の使い方の変化」があるかもしれません。特に大きいのは、「マイクロコンテンツ化」の影響です。

SNSやYouTubeの存在は、単位が小さく、より短い時間でのコンテンツ利用を促します。

これが何を生み出すのかは、ブロックを箱に詰める様子を思い浮かべると分かりやすいと思います。大きなブロックだけでは、箱の中を隙間なく詰めるのは難しいですが、小さなブロックがあれば、隙間はよりきれいに埋まります。

 

マイクロコンテンツが大量に生まれる現在は、従来であれば空いていた隙間時間もコンテンツ消費で埋まりやすくなっていて、結果として「たくさん見ている」「時間がない」感じになっていきやすいのです。スマートフォンに代表されるモバイルデバイスの普及によって、消費の場所を選ばなくなっている影響も大きいでしょう。

 

SNSや友人との間で話題にすることの価値が高まっている現在は、「見ておきたい」作品も増えているでしょう。そうした生理から、「作品の消費時間が足りない」と思う人がいて、そこで効率的な「飛ばし見」「高速再生」などを使う人が出てくるのは自然なことかもしれません。VHSで「早送り」が生まれて以降、そうした作品消費はある種の宿命であって、避けようがないのです。

 

「そんなやり方では楽しめない」と思う人もいるでしょう。しかし、どう作品を楽しむかは、あくまで受け取った個人の扱い方次第であって、矯正することはできないのです。

ある意味、私たちは細切れ化した時間と今までの「長編」が混在する環境にまだ適応できていないのかもしれません。適応できれば、慌てる必要もないし、全てを見る必要がないことを自然に受け止められるようになるのかもしれません。

 

変化は繰り返されます。その時にあった「作品の愛され方」があるにすぎないのです。

テクノロジーやビジネスの変化は、良くも悪くも、作品と人の関係を変えます。それはテレビが生まれた時にも、ビデオが生まれた時にも同じように起こったことです。現象的に言えば、それがまたネットでも繰り返されているにすぎないのです。

 

しかし、「コンテンツが多すぎる」と嘆くのは分かりますが、結局、昔に戻って本当にいいのでしょうか?

海外でレコードが人気、という話がニュースになることが多いですが、それも実情として、「レコードを日常的に聴いている人が増えた」わけではないのです。日常は圧倒的にストリーミングミュージックであって、ファンが「グッズとして」「アナログな音も聞きたくて」買っているのです。つまり、これは昔に戻っているのではなくて、併存しているのです。

 

アルバム単位で音楽を聴くことは減りましたが、その代わりに「プレイリスト」という文化が生まれました。部屋の中で聞くものだった音楽が、ウォークマンの登場で「どこにでもある」ものになり、良くも悪くも音楽業界を変えました。それと同じことがこの15年、プレイリストを巡って起きているわけです。

 

プレイリストベースのストリーミングミュージックが日本よりも先に普及した海外では、プレイリストを提示すること自体でファンとコミュニケーションするアーティストや、専門の「プレイリスター」も生まれています。Spotifyはユーザーインタフェースを変更しましたが、その狙いは、プレイリスターを「セカンドクリエイター」と位置付けて利用を促進するためだったのです。

 

作品自体に「何度も見ることで新しい発見がある」構造を取ることは、ビデオの普及以降、珍しいことではなくなりました。映像の無料配信やサブスクリプションが増えたことで、映画などのプロモーションも変わりました。続編が公開される前には、過去の作品が必ずサブスクリプションに並び、「復習してから新作を楽しめる」ようになっているのです。

 

そういう楽しみ方を「低コストに」「どこに住む誰でも」できるのは、今の環境の美点であるといえます。

過去とは違う作品との関わり方の中で、人々は「新しい距離感」を見つけていくのでしょう。それを嘆いても始まらないのです。そこで支持されるには、時代にあった楽しみ方がされる作品と、時代が変わっても同じように愛される作品の両方があるはずです。

 

クリエイターはどちらを作ってもいいし、私たちもまた、どちらを愛してもいいはずです・・・

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