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歴史

#61 生存者の双子が語った“死の天使”メンゲレの非道

アウシュビッツ強制収容所でナチスの医師ヨーゼフ・メンゲレから人体実験を受けた双子の姉妹リアとイェフディット・クセンジェリ。

 

“死の天使”の異名で恐れられたナチスの医師ヨーセフ・メンゲレは、特に双子に強い興味を抱いていました。アウシュヴィッツ強制収容所では双子の子供たちだけを集め、残酷な人体実験を繰り返していたといいます。当時の生き残りでメンゲレのお気に入りの双子だったという姉妹が、75年の時を経て恐怖の記憶を語ったのです。

 

1945年1月27日、米英ソ連などからなる連合軍が、ナチス占領下のポーランド領内にあったアウシュヴィッツ強制収容所を解放しました。

 

その時、双子のリアとイェフディット・クセンジェリ姉妹(現在はそれぞれリア・フーバーとイェフディット・バーニャ)はまだ7歳でした。

 

ふたりは解放されてまもなく、収容所の有刺鉄線のそばで他の生還者たちと体を寄せ合うよう命じられた。そして自由を満喫する間もないままに、ソ連軍のプロパガンダ映画に参加するよう言い渡されました。

 

収容所の解放を描いたとされるこの映画は、現場をリアルタイムに記録したものではありません。

 

リアとイェフディット姉妹(共に現在82歳)は演技をさせられたのです。

 

演出があったとはいえ、この映画は驚くべき記録です。サディスティックなドイツ人医師ヨーゼフ・メンゲレによって行われた恐ろしい実験を生き延びたユダヤ人双子姉妹の運命が映し出されている記録です。

 

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館にも展示されているスチル写真には、双子姉妹の母ミリアム=ラケルも写っています。

 

姉妹は、自分たちがあの収容所から生きて出られたのは母のおかげだと口をそろえます。

 

「母がいてくれたから、こうして生きているんです。母は私たちの髪をとかし、雪のなかで入浴させ、双子の実験区画にこっそりパンを持ってきてくれました」

 

メンゲレが2人に実験をしていると、そこに母親が飛び込んできて、やめてくれと懇願したこともありました。母親は罰として何かの注射を打たれてしまい、その後2週間、意識を失っていたといいます。

 

「母は私たち姉妹のヒーローなの。私たちのように双子が2人とも強制収容と実験を生き延びたケースはほとんどありません」とリアは話します。

 

リアとイェフディット姉妹は1937年、北トランシルヴァニアに生まれました。故郷の町は1940年、ルーマニア王国からハンガリーに割譲されました。

 

1942年、2人の父は強制労働班に配属され、1944年5月には、姉妹は母とともにシムレウのゲットーへ送られ、その月の終わりにアウシュヴィッツに強制連行されました。

 

アウシュヴィッツに送られた全親族のうち生還したのはリアとイェフディット、そして母親の3人だけだったのです。

 

メンゲレが悪名高い人体実験にリアとイェフディット姉妹を選んだのは、2人が一卵性双生児だったという理由からです。リアは当時を次のように振り返っています。

 

「双子用の実験区画に入れられるとすぐ、メンゲレが定期的に巡回して実験に使うお気に入りの双子を選ぶと知りました。当時まだ幼かった私たちは、あのおじさんは強くていばっていて、誰を生かして誰を死なせるのかを決める人だと思っていました」

 

姉妹にとって最大の恐怖は、「片方の死」だったとイェフディットは話します。

 

「ほとんどの場合、実験区画の双子は2人とも戻ってきませんでした。だから、私たちはいつもお互いに手を握り合ってました」

 

それから75年が経過した今も、2人はアウシュヴィッツで受けた実験には口を閉ざし、その時の身も毛もよだつ記憶を忘れようとしています。

 

それでもリアの孫娘シャニ・レヴァニーはメンゲレと祖母たちの関係についてほんの少しだけならと口を開きます。

 

「メンゲレは祖母たちに愛着があったようです。彼は2人を『かわいいクセンジェリ姉妹』と、番号ではなく名前で呼んでいました。あるとき、全員が並んで食事を待っていると、彼は2人を列の先頭に立たせたそうです。祖母たちは品行方正でしつけがよく、強引に割って入ることを知らないからというのが理由だったそうです」

 

2人は解放後も、自由の身になったという実感が湧くまで長い時間を要したとリアは言います。

 

「子供でしたが、解放されたとは思えませんでした。食糧は少しは増えていたかもしれませんが、住む家もなく、生活を立て直すのに精一杯でした」

 

真に自由になったと感じるようになったのはそれから15年後の1960年です。生還した両親とともにイスラエルに移住した時。「私たちは突然、自由になりました。迫害する人はもういませんでした」とリアは振り返ります。

 

リアとイェフディット姉妹の親族のうち、70名がホロコーストで命を落としました。犠牲者には祖父と祖母も含まれています。

 

「『おじいちゃん』『おばあちゃん』がほしかったけど、そう呼べる人がいませんでした。悲しいことです」

 

2人は1月27日の国際ホロコースト記念日に、イスラエル南部ベエルシェバのネゲヴ・ベン=グリオン大学で開かれる会議に出席しました。同大学の保健学部が主催するこの会議では、ホロコーストおよびナチスに関連した医療倫理問題が討議されました。

 

リアの孫娘シャニ・レヴァニーは、この大学の医学部で学んでいます。祖母と大叔母が苦しまされた医師の道に進む選択を自らしたことに、特別な意味を見出しているのでしょう。

 

「自分はどんな医師になりたいのか、患者に治療をする際にはどのような倫理原則に従うべきか、自問自答を繰り返しています。決まりを守るだけでなく、患者の内面も含めて向き合っていきたいんです」

 

シャニは、大学の医療倫理センターでマシュー・フォックス博士の助手も務めます。このフォックス氏は数年来、ナチス時代に引き起こされた問題に現代医学がどう対処しなければならないかを研究しています。

 

新規療法や安楽死、中絶、遺伝子工学といった話題には、患者の権利と医学倫理のジレンマがつねにつきまといます。

 

また、フォックスは、メンゲレはナチスの戦争犯罪に加担したドイツ人医師の「氷山の一角」にすぎないと述べています。

 

メンゲレはホロコーストの最前線にいましたが、ドイツの多くの医療従事者もホロコーストに動員されていたのです。

 

医師は、他のどの職業も上回る規模でナチスおよび親衛隊に加わっていたのなら、メンゲレといった個人の問題ではなくなります。これは、ドイツの医学界全体があらゆるレベルで深く関与した『犯罪』といえます。

 

アウシュヴィッツから解放されて75年が経過した今も、リアとイェフディットの双子姉妹は医師との接触を不安に感じているといいます。

 

「病院に行くのはなるべく最小限にとどめています。少女時代に受けたあの実験の恐怖がいまも消えないからです」

 

「医師が私たちを虐待した記憶がいまだに潜在意識に残っているので、病院に向かう足取りは重いし、ぞっとします。単純な血液検査でさえも悪夢です。私たちはいまでも、医師を感情のない冷血漢だと感じます」

 

医師への恐れはあったものの、双子姉妹は医療畑の人間と個人的なつながりを持っています。リアは獣医と結婚し、イェフディットは歯科医と結婚しました。

 

また、ともに歯科を学ぼうとしたが、イスラエル移住前にいたルーマニアでは歯科技工士の資格しか取れませんでした。

 

後にイェフディットは夫と、やはり歯科医の息子の助手になりました。イェフディットは医師のあるべき姿をこう考えています。

 

「医師にとって大切なのは、患者も同じ人間だと認識すること。魂を持ち、感情を持ち、疑念や恐れを持つ人間だということを認識しなければいけません」と・・・

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