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暦と「うるう年」の誕生秘話

4年に1度、やってくるのが「うるう年」。いつもの2月は28日までだが、うるう年には29日まであります。ですが、なぜこれは2月だけにあるのでしょうか。そして、なぜ2月だけほかの月より日数が少ないのでしょうか。

 

うるうは漢字で「閏」と書いて、「余分」という意味です。地球の公転周期が正確には365.2422日なので暦がずれないように、この日を加えることで調整しているのです。

 

古代社会において、暦をつくるのは統治者の大事な役目でした。農耕で収穫をあげるためには、季節を正確に知らなくてはならないからです。古代バビロニアでは、月の観測をもとに暦がつくられました。これが太陰暦で、「月」や「日」の数え方もこのとき始まったと考えられています。古代エジプトでつくられた暦は太陽暦の起源となり、これが古代ローマに受け継がれました。

 

うるう年は、紀元前46年にローマのユリウス・カエサルによって制定され、翌年1月1日から実施されました。これが2月になったのは、古代ローマでは、1年は春の3月から始まると考えられていたためです。2月は1年で最後の年になり、そのため日数が少なく、うるう年もそこに付け加えられることになったのです。

 

このユリウス暦は、ヨーロッパで長く用いられましたが、それでもまだわずかながらズレが出たため、16世紀のローマ教皇グレゴリウス13世がより精度の高い暦を制定したのです。4年ごとでも100で割り切れる年はうるう年にしない、ただし400で割り切れる年はうるう年にするというもので、これが現在広く世界で使われているグレゴリオ暦なのです。

 

日本では、中国から伝わった太陰太陽暦を長い間使っていました。これは、太陰暦に太陽の運行周期を加えて調整した暦です。

 

明治の世になって、明治5年12月2日(1872年12月31日)、明治6年1月1日(1873年1月1日)としてまずユリウス暦が、1898年にはグレゴリオ暦が採用され、それまでの暦は旧暦と呼ばれるようになったのです。

 

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