「そして男は時計を捨てた・・・」にようこそ!

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書籍

書籍の部屋#4 ジェイン・オ-スティンという作家

「分別と多感」は、19世紀初めに書かれたジェイン・オ-スティンの長編作品で、イギリスのサフォ-ク州の地主階級だったダッシュウッド家の当主が亡くなったところから話は始まります。遺産相続人は先妻の息子夫婦です。途方に暮れる後妻と3人の娘たちは、親戚の厚意でデヴォン州の小さなコテ-ジに落ち着きます。

 

このコテ-ジ周辺の社交と人間関係が、この物語のほとんどすべてなのですが、さらには、そのほとんどすべてが恋愛と結婚にまつわるものになっているのです。

 

つまり、他に話題がないのです!

 

しかし登場人物たちにも言い分がありました。この時代の上流階級は基本的に働かずして優雅な生活を送れましたが、爵位や屋敷、土地は長男しか相続ができず、男子がいなければ、何人姉妹がいようとも、遠縁から血縁男子を探してくるしかなかったのです。

 

女子は裕福な相手との結婚が最も確実な生活の手段でした。次男以下も女子と同様で、親戚の遺産が転がり込んでくるのを待つか、良い条件の養子縁組先探しが、取り組まなければならない最重要課題だったのです。

 

それゆえに、たとえ自分自身に関係がなくても、知人や親戚の一生を救うかもしれない、突如現れた格好のお相手には非常な興味を持つのかもしれません。

 

オ-スティンという作家は、人々がこの最重要課題に奔走する様子を、まるで河が流れるかのように描写できる作家であり、その流れる河のコ-スからはみ出すことなく、限られた話題で細やかにその流れをコントロ-ルすることが出来る人。

 

例えば、知的で分別のある長女のエリナ-に比べて、多感で感情のまま行動する次女のマリアンは、若くてハンサムなウィロビ-に夢中になり、自分に恋をするブランドン大佐を陰では、「高齢でヨボヨボ、リュ-マチを患っている」とけなします。

 

しかしやがては、ウィロビ-は女性を手玉にとるひどい男で、大佐こそが誠実な愛情の持ち主だったと判明するというステレオタイプのスト-リ-に傾斜しつつ、なぜ自分がそう振る舞わなくてはならなかったのか、という長い告白をウィロビ-にさせることで、安い筋立てを免れています。

 

ヴァ-ジニア・ウルフはオ-スティンを高く評価していました。彼女の狭い行動範囲や人生経験にもかかわらず、自分の持っていないものを欲しがらないのが、オ-スティンの長所なのだと。

 

主人公たちは当時の世襲制度にひどい目に遭わされているのにもかかわらず、文章にはその運命に対して嘆いてはいないし、社会に対しての疑問や怒りも滲んでいません。ウルフの言ったように、そういう点が後に活躍したシャ-ロット・ブロンテとは違っているところなのでしょう。

 

そのシャ-ロット・ブロンテの代表作「ジェ-ン・エア」は、孤児として育った容姿端麗でもない家庭教師が主人公。その人物の中には怒りが織り込まれている印象が見えます。ウルフはその怒りを「引きつり」と呼んで、怒りに駆られて書いてしまうと、作品は歪められてしまうと懸念していました。

 

しかし、怒りを作品の起爆剤にすることはあるでしょうし、何もすべての作品がオ-スティンのように、緻密に織り上げられなければならないことはないのです。

 

作品の中の怒りや疑問が、どんな形であっても読者との間で共有される中で、研ぎ澄まされていく社会感覚やセンスもあったはずです。

 

夏目漱石はオ-スティンを大絶賛しました。しかし、マ-ク・トウェインには親の仇のように嫌われていたそうです・・・

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