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社会

21世紀に、もうオリンピックなんていらない・・・

1964年に東京で開かれたアジア初のオリンピックは、新幹線や高速道路、カラーテレビと一緒になって、日本を国際社会の一員と感じさせてくれる、スポーツによる世界平和と経済発展の一大イベントに思えた・・・しかしそうした幻想は、次のメキシコ五輪の黒人差別事件やその次のミュンヘン五輪でのテロ事件で次第にほころび出し、モスクワ五輪でついに破綻してしまった・・・

 

コロナ禍があぶり出した政治や社会の機能不全のせいで、平和と繁栄という美名の裏にある負の部分が見え隠れした2021年東京五輪。

 

もともとオリンピックとは何なのでしょうか?

 

それは、フランス革命で王侯貴族が没落し、世界規模で拡大した産業革命以降の帝国主義と植民地支配、国民国家間の闘争がもたらした、19世紀以降の近代の世界秩序の再編成のため装置だったのかもしれない・・・

 

近代オリンピックの父とされるクーベルタン男爵はフリーメーソンで、イギリスを訪れてラグビーにはまり、この国がナポレオンを破ることができたのは、植民地支配のため上流階級の子弟にパブリックスクール(私立校)でスポーツ教育を奨励したせいだと考えるようになりました。

 

そしてその後、普仏戦争で惨敗したフランスを復興させ強国にするためには、英国式にスポーツを奨励する国際大会を開催すべきだと考え、その正統性を謳うためにヨーロッパ文明の源流とも考えられる古代ギリシャのオリンピックのイメージを使ったのです。

 

そして1896年にアテネで第1回が開かれたものの、当初は男性のみで走ったり跳躍したりする競技がメインで規模も小さく、世界平和や経済どころかサーカスの見世物の延長線上のような変わった競技会扱いで大した人気はなかったといいます。

 

しかしそれが大きく変貌を遂げたのが、ナチスのゲッベルス宣伝相が「大衆の扇動に有効」と目をつけて派手に「民族の祭典」として利用した1936年のベルリン五輪によってでした。ナチスがアテネからベルリンまでのルートを戦略的に調査できる聖火リレーが行われ、オリンピックは各国の国力をメダルの数で競うパワーゲームになったのです。

 

自分のイベントが一気に世界的に注目されたことに感動したクーベルタンは、ヒトラーを称賛して本国からは煙たがられ、女性を差別し五輪参加に反対するなどして、結局はIOCから去ることになります。晩年はスイスでナチスの年金で暮らしていたといいます。

 

第二次大戦後もオリンピックは各国の国威発揚の場として拡大し続け、新しく参加したソ連が冷戦の核兵器開発競争で劣勢に立ち、国際的地位向上のためにオリンピックに目を付け、メダル獲得のためには手段を選ばずと、国がドーピングを奨励する結果にもなりました。その後も航空路の発達も手伝うことで世界規模のイベントとして発展し、1984年のロサンゼルス五輪以降は国際的なテレビ中継やマーケティングを強化した、赤字から一転、儲かる一大商業イベント化してしまったのです。

 

結局、オリンピックは近代の新しい世界システムが維持できるよう、国家主導型スポーツでスーパーマンが国家間で競って勝ち負けを争い、人殺しのないバーチャル戦争ゲームとして平和でない世界で平和を謳う、稀有のイベントだったと言っても過言ではないのかもしれません。

 

いまだコロナ禍が収まらない中で、感染拡大の危険を承知で安全安心を謳った今回のオリンピックは、国民の大半が支持しない危うく華のないイベントになってしまいました。過去の東京オリンピックの成功体験を再現したいという政治的意図が見え隠れしていましたが、たとえ様々な問題をクリアして開催していたとしても、スポーツ大会として各国各選手が公平な条件で臨めるのかも見えず、IOCの貴族趣味が開催国を食いものにしていると批判が高まったでしょう・・・

 

震災復興を掲げて裏金まで使って獲得した大会は、将来書かれるはずの歴史にパンデミックや震災を乗り切った人類の英知といったポジティブなメッセージを果たして残せたのでしょうか?せっかくの選手や関係者の勇気や善意は、正しく評価されるのでしょうか?

 

オリンピック精神を疑う人はいないとしても、その前提となる組織や運営の問題や政治意図がからんでくると、善意の大会がそれを利用したい別の立場の道具にされてしまいます。表面的には成功だったとしても、未曽有の資金を注ぎ込んだだけで回収のできない、負の遺産のみが残ってはいないでしょうか?

 

ここで問題だったのは、オリンピック自体ではなく、オリンピックを昨今の状況の中で行うメリットが本当にあったのか?無理をして強行したことはメリットよりデメリットをもたらしたのではないかという不安です。

 

これまで開催された大会にはいろいろ批判もありましたが、これだけの規模で世界平和を訴え、現在は不十分とは言え、過去には経済効果もある程度発揮した点は評価に値します。

 

しかし残念なことに、これだけインターネットが普及して、情報や経済のグローバル化が格段に進んだ現在、100年以上前の近代化の装置としての一大イベントの枠組みは、いくら修正し改良しても、もはや役に立たなくなってきているのではないでしょうか・・・

 

19世紀末に進んだ富国強兵型の教育や産業育成は、モノづくりのための工業化が必要な時代には有効で、国家レベルの大規模なイベントで大量の人員を動かしインフラを整えることにはそれなりの意味があったわけです。そうした政策を鼓舞し後押しするものとして、平和を謳う世界規模のイベントは有効だったに違いありません。

 

オリンピックという名前だけで巨額な予算が配分され、いろいろな事情で名目や目標が立てられなかった都市整備、産業育成や規制緩和などが一気に進むという効果も生みましたが、巨額の予算はチェックもされないまま、とんでもない使われ方をする結果にもなったのです。

 

しかし現在必要なのは、巨大な施設を作って大量に人や物資を移動することではなく、国家に代わって、インターネットという国を超えた見えない国家のような規模でつながった都市や地域や個人が幅広く協力して、国家間の戦いではなく、個人や集団がもっと交流し合い新しい世界秩序を模索することではないでしょうか。

 

国が多額の投資をして作り上げたスーパーマンのようなエリートアスリートが、世界最高のパフォーマンスで金メダルを取って、国民が全員で国歌を熱唱するという構図は、もう20世紀のマスメディア社会のノリ。

 

今はもう21世紀です・・・

 

むしろ貧富の差が拡大し、LGBTや心身のハンディーを負った人々が差別されたり、底辺の暮らしを強いられたりするのではなく、一人一人の世界市民として参加できる大会を考えていく時代。

 

そう考えるなら、オリンピック大会の添え物のように使われているパラリンピックこそ、まさに21世紀に生きるネット時代の個人を主役にした、誰もが尊重されるという理想に近いものなのかもしれません。

 

1963年に東京オリンピックに向けて、初の日米を衛星で結んだテレビ国際中継実験が行われ、初めてリアルタイムでアメリカとつながった映像から流れたのはケネディ大統領狙撃というショッキングなニュースでした・・・

 

しかし、おかげで世界は同時に映像でつながるようになったのです。カラーテレビや家電による生活の向上や、コンピューターを活用したバンキングや予約システムが実用化されていきました。

 

その後のデジタルテレビやインターネットの高速回線の普及で、世界はより広く密につながりあって一体感を持てるようになったのです。

 

こうしたデジタル化に裏打ちされた現在の世界では、もっとより新しい発想でオリンピックの目指した理想を追求することも可能だと思います。eスポーツばかりでなく、各人が何らかの得意分野で参加して世界の人々と競い合って交流するようなイベントを作ることは可能なはずです。

 

民間を巻き込んだ宇宙時代もすぐそこまで来ようとしています。近代の隣国との争いを調整する国際化の時代を超えて、宇宙から地球人としての意識を持ち各人が主役になれるきっかけとなるようなポスト・オリンピックを考えるべき時が今やって来ようとしているのです・・・

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