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歴史

絶世の美女、小野小町と豊臣秀吉

1000年を超える歴史を誇る古都である京都には、さまざまな伝説が語り継がれています。その1つに絶世の美女とされる小野小町の伝説があります。

 

小野小町の実像は多くの謎に包まれています。小野妹子たちを輩出した小野の出ということが辛うじて判明しているのみで、両親や生没年も不明です。

 

ただ、確かなことは、古今和歌集におさめられている歌である「花の色は移りにけりないたづらに 我が身世にふるながめせしまに」などが彼女の作だというばかりです。

 

京都市山科区小野御霊町にある隨心院は、小町の屋敷跡と伝えられている古い寺です。この寺の一室は、美女を彩る伝説の紹介にあてられていて、33都道府県の260ヶ所以上もの伝説があることを伝えています。

 

小町の伝説の中に、「深草の少将の百夜通い」というものがあります。

 

熱心に小町に言い寄る少将に、小町はこう告げます。「私のもとへ百夜通いつづけたら、百夜目にお会いしてもよい」と。

しかし、九十九夜目に少将は生き絶えてしまう・・・。

 

寺の境内には、小町が化粧をする時に使った化粧井戸や、恋文を埋めたとされる文塚などが残されていています。井戸の中の澄んだ水に映る自分の姿に落ち葉がちりゆく時、移ろうものの儚さをも同時に見ていたのかもしれません。

 

小町が詠んだ花とは桜なのかもしれません。隨心院にほど近い醍醐寺の桜を世に知らしめたのが、豊臣秀吉です。

 

1598年3月15日、秀吉は醍醐の花見を盛大にとり行いました。秀吉は近隣の4ヵ国から数百本の桜を移し植えて、境内に8つの茶屋を設け、側近の武将たちに茶屋の亭主として趣向を凝らさせました。万事派手なことが好きだった秀吉、正室の北の政所や淀殿たちの側室、諸大名の配下の女性たち1300人を美しく着飾らせて花見を楽しんだといわれています。

 

この花見は、後々の語り草になりましたが、秀吉は程なくして病に倒れ、この世を去りました。

 

毎年4月の第2日曜日には、秀吉が演出した一大デモンストレーションといえる「豊太閤花見行列」が実際に再現されているのです。

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