「そして男は時計を捨てた・・・」にようこそ!

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歴史

日曜大河ドラマを〇〇でやってみたら?!

NHk大河ドラマに主役として登場する人物ともなれば、その出身地や活躍の場所が広く知れわたり、観光地となって、さまざまな波及効果をもたらすことは周知の事実です。戦国時代の覇者である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康や、明治維新の志士たちの活躍した地域をみれば明白です。

 

そこで、ひとつ地域を絞って山陰地方(島根、鳥取)に焦点を当ててみます。少なくとも、高校の教科書に載るような戦国武将や維新の志士は見当たりません。

 

1997年、永井路子氏の「山霧 毛利元就の妻」を原作とした大河ドラマ「毛利元就」では、出雲を拠点とする尼子一門や山中鹿介たち家臣集団も登場して、安来市広瀬町に残る尼子の居城、月山富田城跡は観光客でにぎわいました。

 

しか~し!所詮は山陽の毛利氏が主であったため、おこぼれをもらった感は否めませんでしたさ・・・トホホ😰

 

傑出した人物や歴史的な事件が見られないとなれば、山陰地方は諦めた方がいいのか・・・というと、そうは思わないんじゃないのかと!😉ピリッとした存在感のある人物はいたりもするのです😊そして、そのような人物をパッチワ-クのようにつなげれば、大河ドラマは出来上がるかもしれませんよ。👏

 

その人物とは以下の3人です!

まず1人目は、山中鹿介幸盛(やましかしかのすけゆきもり)です。

尼子の再興と領国出雲の奪還のために、不撓不屈の精神で戦い続けたその生きざまは凄まじいの一言!しかし、最後には籠城する城兵たちを救うため、血を吐く思いで毛利に降った慈悲深い武将でもありました。1937年に尋常小学校5年生用の国語読本に「三日月の影」のタイトルで彼のその生きざまが載り、全国の小学生が鹿介の存在を知ることになりましたが、今はもう、それを知る人々も数少なくなったのです・・・

 

そして2人目は亀井新十郎茲矩(かめいしんじゅうろうこれのり)です。

彼は玉造(松江市)湯城の城主湯永綱の子息であり、尼子の重臣亀井秀綱の養子となります。これのりの妻は鹿介の妻の妹といわれているので、2人は義理の兄弟ということになります。鹿介よりも12歳年下です。鹿介が因幡に転戦している1573年頃から、鹿介に従って出陣しています。後に、豊臣秀吉の家臣となって、鳥取城攻撃などに活躍し、鹿野城(鳥取市)の城主に任じて、関ヶ原以後3万8千石を領しました。海外雄飛の壮大な心意気をもち、ご朱船貿易を行いました。茲矩の子息は石見国津和野藩主となります。

 

最後の3番目は、鹿介の子息である山中幸元(やまなかゆきもと)です。

幸元は父鹿介の死後、世の中を避けて新六と名乗って、摂津の伊丹村で醸造業を営み、清酒の製法を考案して大いに繁栄しました。子孫は大坂に進出して金融業も営みました。鹿介の子供については色々と諸説がありますが、宮本又次著の「鴻池善右衛門」には、ほぼ断定的に鹿介長男幸元(新六)と記されています。

 

かくして、山中鹿介、亀井茲矩、山中新六という3人による1本のラインが出来上がりました。生き方や境遇は違えど、お互い血縁で結ばれ、共に波瀾の時代を生き抜いてきた・・・大河ドラマの対象に十分なり得るはず!感動を呼びおこすはず!😅

 

しかし、それを実現にもっていくためには、もちろん連携と行動が必要です。山陰地方は一体となり、さらにこの3人と縁のある地方などとも手を携え、強力な運動を展開していく・・・

後は、この3人をまとめたシナリオを・・・誰か、誰か、誰か作ってくださいませんかね?🙇

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