「そして男は時計を捨てた・・・」にようこそ!

このブログサイトは、みなさんの知識や情報、その他のことを入手するお手伝いをするブログサイトです。

テ-マを設けずに、さまざまな事柄を書いていきます。ごくまれに私的なことも織り混ぜていこうと思います。

ぜひ、このブログを活用していただけたら、うれしく思います。ただし、このブログには画像は一切ありません。文章のみのミニマムなブログになっています。文章のみでみなさんに伝えていきます。

毎日1~2記事を更新していきます。土、日は更新は多めとなります。

「そして男は時計を捨てた・・・」を今後も末長くご愛読ください😉




歴史

1日はなぜ24時間で、時計は1周12時間なのか?

学校教育で十進法をたたき込まれる、私たち現代人にとって、時間の十二進法、六十進法は若干の違和感を覚えませんか?それは他にはあまりない単位だからなのです。

 

なぜ、このような計量単位が生まれたのでしょうか・・・

 

歴史を調べると、古代の人々は身体の部位を基準にして計量の単位を築いているのです。指を折って数を数えただけでなく、身体の部位をモノサシに使っています。

 

例えば、親指の幅(インチ)、こぶしの幅(パルム)、親指と小指を張った長さ(スパン)、ひじの長さ(キュービット)、足の爪足からかかとまでの長さ(フィート)などです。

 

モノサシなどがなかった時代には、ものの長さを測る場合に、まずは親指を当ててみて、より長ければこぶしに代えて測るとか、こぶし何個分といった測り方が一般的だったようです。しかし、時間の体系では身体の部位の寸法を当てはめて計るわけにはいきませんでした。

 

「分」「時」「日」の時間や角度の測り方は、紀元前15世紀頃にチグリス・ユーフラテス川流域で生活を営んでいたバビロニア人によって体系化されたと伝えられています。

 

角度の1度を円周の360分の1とする考えは、太陽が天空を1周するのに要する時間(1年=365日)を基礎にしているようです。

 

人類は月の満ち欠けが約30日のサイクルで繰り返され、それが12回で再び同じ季節が巡ってくることを知っていました。バビロニア人は太陽が地平線に顔を出し始めてから、完全な姿を現すまでの時間(約2分)を一つの基本単位とすると、720(12×60)個分で一昼夜が経過することにも気がついていました。つまり、天文の分野では12や60が重要な数字としてすでに認識されていたのです。

 

また、当時のバビロニアで使われていたシュメール数学では、数の多い単位の区切りとして十二進法や六十進法が多用され、1より小さなものを表すのに60分割することも行われていました。シュメール数学とは、バビロニアの前にこの地で文明を開花させたシュメール人が編み出したものです。

 

シュメール人自体はもともと移民としてバビロニアに移住してきました。祖先はよく分かってはいませんが、温和な民族で根気強く、湿地帯を乾かし農耕の習慣をつくり、貿易を発展させました。

 

都市には壁を築き、車輪のある乗り物まで使っていました。さらに、くさび形文字、ろくろ、数式、最初の法律、踏み車、ブランコ、ハンモック、ボール・ゲームなども発明しているのです。

 

シュメール人が十二進法や六十進法に固執した理由はまだ完全に解明されていませんが、親指を除く手の指の関節が12本あることを利用して数を数えていたという説があります。

 

一方の手の指を折りながら十の単位を数え、もう一方の手の関節で一の単位を数えると、両手で60までカウントできます。しかも、12は、1、2、3、4、6の倍数、60は1、2、3、4、5、6、10、12などの倍数です。角度に使われる360も約数が多く、さまざまな場面に利用できるので便利だったためではないか、というわけなのです。

 

時間単位の源は、明確ではありませんが、時間の計り方は天文分野との関連を深くもちながら発展しました。一般人の生活では、細かい時間を規定する必然性は少なかったのですが、天文分野では細かい時間だけでなく、全体の体系が必要だったからです。

 

年と日が十二進法で、時間と分が六十進法で組み立てられることによって、1年間を秒に換算すると、60秒×60分×24時間×365日で、3153万6000秒となります。

 

現代の数学から判断すると進法に一貫したルールがないために不合理に思えるのですが、古代バビロニアで暦や時間体系を決めるにあたっては、数学、天文学、占星術など当時のあらゆる学問、知識を総合的に考えて決定されたのでしょう。

 

時計の文字盤は、12時間制が当たり前のように思われていますが、欧州、特にイタリアの古い掛時計の文字盤にはさまざまなバラエティが見られます。

 

一つは24時間制の文字盤で、24時が文字盤の真下にくるのが奇妙ですが、太陽が南中する正午を真上に配置したので、そのような表記になったのです。フィレンツェの大聖堂の時計などがそれにあたります。

 

二つ目は午前の12時間と午後の12時間が文字盤の左右にそれぞれ表示されている24時間制のパターンです。ロンドンのハンプトン・コート宮の天文時計などが有名ですが、日時計の概念を忠実に守ったものと思われます。

 

三つ目は、数字の代わりにゾディアック(十二宮=太陽、月、惑星が運行する仮想の球体上で、太陽の黄道を中心とする帯域を、十二星座に分けたもの)を文字盤に配したものです。変形として数字との組み合わせ(サンマルコ広場の時計、ハンプトン・コート宮の天文時計など)もあります。

 

四つ目は数字をIからVIまでの6つでレイアウトしたものです。シンプルで良いのですが、目盛りとしては粗すぎてデザイン的に持たないので、間に何らかのマーキングを挿入しています(ローマの時計広場の時計など)。なお、この時代の針は、「時針」だけの1針しかありませんでした。

 

これらの文字盤は、デザインとしての流行も反映していました。イタリアでは17世紀後半に、文字盤を6刻みにするのが流行していたようで、当時ヴェネツィアで出版された時計の本には、「6刻みにするのが当世ローマ風である」と書かれているのです。

 

ところが1世紀も経たないうちに流行はまた変わっていき、18世紀末のローマでは、12刻み2本針のスタイルへの改造が盛んになりました。ちなみに、流行が変化した背景には、機械式時計が進歩して精度が上がったために、文字盤に分針をつけられるようになったという技術的な要因もあったのです。

 

古代の人たちってスゴかったんだなぁ😉ニコッ

ABOUT ME
makoto
「そして男は時計を捨てた・・・ひとり編集長の冒険」を運営している、ひとり編集長のmakotoです。 「そして男は時計を捨てた・・・」を活用して知識や情報を深めていきましょう!新聞を読むような感じでペラペラめくってみて下さい。 そして、自分の大好きな方に知識をシェアしていってください👍 ひとり編集長と情報の冒険をしましょう😃どうぞよろしくお願いします👍