「そして男は時計を捨てた・・・」にようこそ!

 

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「そして男は時計を捨てた・・・」を今後も末長くご愛読ください😉 by ひとり編集長




歴史

歴史を見てみなさい!さまざまな愛の形が歴史を作るのだよ・・・

ダヴィンチの代表作の一つ「洗礼者ヨハネ」のモデルは男色相手の恋人サライといわれています。

 

そして最近、女装する男性が増えているといいます😅

 

突然、何を言い出すんだ!😱

 

まぁ、さておきその動機や要因は、綺麗になりたい、変身願望、性的欲望、姉妹の中で育った、など様々なようです。

 

その昔開拓時代、アメリカ大陸に渡ったヨーロッパの人たちの多くが、先住民の部族の中に女装した男性がいるのを見てたいそう驚いたという記録があります。

 

こうした女装した人々は先住民のかなりの部族に存在していたようです。

 

彼らは普段、女性の仕事をしながら部族の中でトラブルが起きたときの相談や交渉を行い、宗教儀式の司祭役、予言、占い、病気の治療に務めたのです。

 

また、部族としての重要な決定を下すなどの高い地位にあり、周囲の尊敬を一身に受けていたといいます。先住民は彼らを男性にも女性にも属さない第三の性ととらえ、彼らは超自然的な力による神の意思から生じると考えられていました。

 

そして、西欧人は彼らを「ベルダーシュ」という名前で呼びました。ベルダーシュとは「稚児」または「男色相手の少年」を意味するフランス語です。

 

フランスの哲学者ルネ・デカルト(1596- 1650)は『省察(1641年刊)』で、この世界には、肉体や物質といった物理的実体とは別に、魂や霊魂、自我や精神などの心的実体があり、それに伴い身体が相互作用すると唱えています。

 

デカルトは著書『方法序説』の中で「我思う、ゆえに我あり」と心身において身体と心が本質的に異なる実体がある、と主張しました。

 

そうした考え方は古代ギリシャの哲学者プラトン(紀元前427-前347)の時代まで遡ります。

 

性を決定づけるのは環境によるものなのか?それとも男性ホルモンと女性ホルモンなのか?はたまた性別の決定に関わる情報を持つ性染色体X型とY型といったことが要因なのか?

 

キリスト教では不自然な反生殖的である性行動を罪深いものとして長年断じてきました。

 

そのためか、西欧では最近まで同性愛について議論されたり、研究されたりすることは、ほとんどなかったと言っていいのです。

 

生物学的視点から見れば、多くの生物の性、および、性交の対象は雄と雌のみと見做されがちです。

 

しかし、自然界においては、ほ乳類、鳥類、爬虫類、昆虫など1500近い種で動物の同性愛が広く見られ観察されています。

 

また、同じ種の間においても様々な性愛の形態があり、その行動の動機や含意はまだ十分に解明されていません。

 

人類においても同性愛の歴史は古く、石器時代には洞窟に描かれた絵画にも見られます。文字が発明された古代メソポタミア、古代エジプト文明以降、数多くの記録が残されているのです。

 

古代エジプトでは紀元前25世紀から紀元前24世紀、エジプト第5王朝時代にカーヌムホテップとニアンカーカーヌムの2人の男性同士の恋人関係にあり、密接な描写が絵画やヒエログリフ(エジプト文字)により伝えられています。

これは史上最古の同性愛の記録です。

 

また、太陽神アテンを信仰していた第十八王朝のファラオ・アクエアテン(紀元前1362-1333)は若くて美しい共同統治者スメンクカラーと接吻するレリーフが刻まれています。

 

アクエアテンはスメンクカラーに、通常、王妃に与えられる「愛しき者」という称号を与えるなど、2人が男色関係にあったことが読み取れます。

 

古代シュメール文明の世界で最も古い文学作品『ギルガメッシュ叙事詩』には支配者ギルガメッシュ(紀元前2600頃)が無二の親友であるエンキドゥと念友関係になり、ギルガメッシュが配偶者の女神イシュタルよりも、この男の恋人に深い思いを寄せたため女神の怒りを買ったとあります。

これは世界最初の男性愛の文学作品です。

 

古代メソポタミアでは神殿で女性だけでなく男性による神殿売春が行われ、信者との性行為を務める風習があったと楔形文字で粘土板に記されています。

 

鉄器を発明し、中東の広い地域を制圧したヒッタイト人は男性同士の婚姻をヒッタイト法により法制化し、後にギリシャのアテナイ(アテネ)法の法制化に大きな影響を与えました。

 

ギリシャは世界の歴史でも有数のホモセクシャルの文化が花開いた国でもあります。

 

そこには誠意や礼譲といった精神的・哲学的な要素が潜まれ、哲学者、詩人、芸術家、政治家の多くが男色を嗜んでいました。

 

ギリシャ神話に登場する神々の王ゼウスは、黄金の肌と形容されるほど美少年トロイアの王子ガニュメデスを攫い、天界でゼウスの杯を奉げ持つことで永遠の若さを与えた話は、世界で最も有名な少年愛の物語といえます。

 

また、神話で有名な半神半人のヘラクレスは14人の男の愛人がいて、中でもイオラオスは戦車の御者としてヘラクレスの冒険に同行しました。イオラオスはヘラクレスの妻メガラを譲り受けて結婚しています。

 

古代ギリシャにおける男色の情景は紀元前8世紀末の古代ギリシャの二大叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』の作者ホメロスをはじめ多くの詩人に謳われてきました。

 

「エジプトはナイルの賜物」「女というものは、下着とともに、恥じらいの心をも脱ぎ去るものだ」など数多くの名言を残した歴史家のヘロドトス(紀元前490-前430頃)はプレシロオスという美少年に入れ込み交歓を愉しみました。

 

古代世界で最も著名な数学の研究機関ピタゴラス教団を率い、幾何学におけるピタゴラスの定理で知られるピュタゴラス(紀元前582-前496)は「女性と交わるのは有害でよろしくない」と多くの愛弟子に説いていました。

 

生涯、独身を通した哲学者プラトン(紀元前427-前347)は「同性の愛人をもち、愛人が寵童をもつことが最も幸せなことである」と語っています。

 

彼が記した『饗宴』には男色の情景と、その精神と哲学について綴られています。

『饗宴』には、ソクラテス(紀元前470-前399)は美少年好きで多くの愛人がいたが、中でも美少年のアルキビアデスを特に寵愛したといいます。

 

アルキビアデスは「女たちから夫を奪い、男たちから妻を奪った」と、そのずば抜けた美貌と好色家ぶりがうかがえます。

 

神話に登場する神々で一番若い美少年として描かれる神エロスですが、この少年神は愛・性愛の神として多くの男性から崇められてきたのです。

 

ソクラテスは愛する男の恋人アガトンとの問答でエロスについてこう語っています。

 

「エロスとは[あるもの]へと向かう愛であり欲求である」

「[あるもの]とは、自分が持たないもの、自分に欠けているものである]

「エロスとは「美」に対する愛である」

「エロスをとは[肉体や心霊の中に美しいものを生じさせること]で生殖・懐胎・出産もその一つである」

「生殖とは滅び行く者の代わりに他の新しい者を残す、生命という個体の新陳代謝である」

 

なぜ、人に性愛が湧き起こるのでしょうか?ソクラテスによれば、神ゼウスに起因するといいます。

 

そもそも人間は、もともと背中合わせの一体「男・男」「女・女」「男・女」といった3種類の組み合わせによる男女両性を兼ね備えたアンドロギュノス(二重体)でしたが、神ゼウスによって2体に切り離されてしまったのです。

 

そのため半身となった人間は互いに失われた、もう一つの半身を求めることになりました。「男・女」は異性愛を求め、「男・男」は男を求め、「女・女」は女を求めるゆえんです。

 

そして、もともとの完全体の自分に戻るためには最良の愛人を探し出し、結ばれることで、それが叶うというのです。

 

つまり、包括的なエロスとは、私たち人間のかつての本来の姿への憧憬と追求に、深く結びついているというのです。

 

古代オリンピックの始まりは紀元前8世紀にまでさかのぼり、ポリス間での紛争や戦争で中断されたことは一度もなく1169年もの間も続いたスポーツの祭典です。

 

競技に参加できたのはギリシャ人の男性のみで、競技は裸体で行われました。

その理由は力強い精神と鍛え抜かれた美しい肉体を至上の美と捉えるギリシャ独特の観念によるものだといいます。

 

古代ローマになるとギリシャの男色文化の特徴ともいえる精神的・哲学的な意味は失われ始め、ホモセクシャルは性的快楽の一つのジャンルとして確立します。

 

なかでも美少年に男たちの熱い眼差しが注がれ、要人の寵愛を受けた少年が富や出世を得ることは珍しいことではありませんでした。

社会では同性愛は容認され、同性間の結婚も認められていたのです。

 

紀元64年のローマ大火にかこつけて、人類史上初めてキリスト教徒を迫害したローマ皇帝ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(紀元37-68)は何人もの男性と結婚しています。

 

しかし、ローマ時代の男色は立場のある成人男子は、「受け身」となることと「奴隷」との性交は禁忌な行為とされました。

 

それは相手が誰だろうと、受け身で犯されたとすれば、他者に屈服する不名誉な行為として嘲弄の的となったのです。

 

カエサルは、エジプトの女王クレオパトラ(紀元前69-前30)の情夫としても知られていますが、少年期のカエサルは亡命先のビティニア国の王ニコメデス四世の稚児として寵愛を受け、受け身を仕込まれたといいます。

 

『ローマ皇帝伝』によれば、成人したカエサルは知的で勇猛、戦術に長け、部下に慕われる人物であり、また、常に香水を身体にまとい、身だしなみを美しく整えた洒落者であり、両性愛者でした。

 

カエサルは男女を問わず手当たり次第に誘惑し、女性においては元老院議員の3分の1の妻を寝取ったとの逸話があります。

 

カエサル好色ぶりは凄まじく美少年なら奴隷の少年までも寝室に招き、仕手となって犯したり、受け手となって犯されたりして男色を謳歌していました。

 

カエサルが暗殺されたのは、奴隷と交わり、受け身にもなるなど禁忌を破ったことが、その理由の一つとされています。

 

カエサルの後、初代ローマ帝国皇帝となったアウグストゥス(紀元前63-14年)は少年時代にカエサルの養子となり、男色と長年の尽瘁の果てに皇帝にまで上り詰めました。

 

アウグストゥスは8月を自分の名前であるアゥガストと名付けましたが、それだけにとどまらず、男倡の祝日を4月25日に定めるほどの男好きな皇帝だったのです。

 

濫費とセックスに溺れた狂気の皇帝としての逸話が数多く伝えられる第3代ローマ皇帝カリグラ(紀元12-41)も外国からの男性の人質と情交に勤しみ、美男な従兄弟のレピドゥスと仕手役、受け手役を愉しみました。

 

中央アジア、インド北西部に至る広大な世界帝国を実現したマケドニアのアレクサンドロス大王(紀元前356-前323)も無類のホモセクシャルです。

 

シリアの歴史家ディオドロスによれば、男の恋人ファイスティオンと深い関係にあったといいます。

アレクサンドロス大王がイッソスの戦いでペルシャ帝国を制覇した時、恋仲のファイスティオンを連れてダレイオス3世の皇太后と妃のもとを訪れました。

 

そのとき、皇太后シシュガンビスがアレクサンドロスと、その恋人のどちらが大王か見分けがつかなかったため、誤って上背のあるヘファイスティオンの前に跪きました。

 

間違いに気づいて慌てた皇太后に対し大王は「お気になさるな。この男もまたアレクサンドロスなのだ」と気にも留めずにいたといいます。

 

イエス・キリスト(紀元前6年-紀元30頃)の生きた時代、同性愛は珍しいことではなかったが、イエス自身も両性愛者であったとの説があります。

 

『新約聖書』にヨハネの福音書には、イエスが最も愛した弟子がヨハネでありイエスが処刑され復活した時、ヨハネを不死の世界へと導こうとしたとの逸話が残されており、2人の関係がただならぬ仲だったことがうかがわれます。

ほかにもイエスはラザロと男色関係にあったと異端とされるグノーシス派に伝わっています。

 

そして、芸術の世界でもホモセクシャルは盛んです。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)はルネサンス期を代表する芸術家と称されるが彼が同性愛者だったのは有名な話です。

ダヴィンチは男色を行ったとして2度逮捕されたが証拠不十分で釈放されました。

 

また、亡くなるまで自宅に住まわせた愛弟子ジャン・ジャコモ・カプロッティ(1480-1524)通称サライ(小悪魔の意)とは恋人関係にあり、ダヴィンチの代表作の一つ「洗礼者ヨハネ」のモデルはサライといわれています。

 

ダビデ像で有名なミケランジェロ・ブオナリッティ(1475-1564)の作風はいまにも躍動しそうな官能的筋肉美が特徴だが、彼も「最高の愛は男性同士の愛」と明言し、少年愛に耽溺した芸術家です。

ミケランジェロは、「女性の裸体は男性の裸体よりも劣る」と言い、女性の絵画や彫刻を制作する際には男性モデルを使っていました。

晩年には、貴族の青年トンマーゾに夢中となり「その美しさは自然を超越したものだ」と、男の恋人の美貌を讃えています。

 

ほかにもイングランドの劇作家ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)は、男性の愛人に綴った詩集『ソネット』を刊行しています。

 

「わが情念をつかさどる男の恋人よ」と、その大部分が美男子に対する愛を謳い、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』の著者で帝政ロシアの小説家、思想家文豪レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(1828-1910)は「私は男性を愛した」と日記に記しています。

 

また政治の世界も、ホモセクシャルは盛んで、アメリカ合衆国初代大統領のジョージ・ワシントン(1732-1799)は妻帯者だったが、副官だったアレクサンダー・ハミルトンと男色関係にあったことは、よく知られています。

 

エイブラハム・リンカーン(1809-1865)も若かりし時、雑貨屋を共同経営していたジョシュア・フライ・スピードと男色関係にあり、また、法律事務所をしていた頃には共同経営者ウィリアム・ハーンドンと同性相姦がありました。

 

自然界には広く同性愛が一つの性愛の形態として観察されています。しかし、その行動の動機や含意は、まだ十分に解明されていません。

 

私たちが暮らす人間社会は、様々な制約に満ちています。その制約に縛られながら私たちは日々、生活しています。しかし、人間はもともとは限りなく自由な存在だったはずです。

 

もし、「自分が何者か」を自分で決めさえすれば、不自然で反生殖的な性行動が、たとえ社会において禁忌とされていたとしても、自由気儘にそれを愉しむことが叶うかもしれません。

 

歴史を見てみなさい!この世の中に溢れている、さまざまな愛の形が歴史を作るのだよ!きっと👍

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