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地域ニュース

島崎藤村が「・・・」と呼んだ町 長野県飯山市

島崎藤村の小説「破戒」は、「蓮華寺では下宿を兼ねた」という書き出しで始まり、「寺は・・・飯山町二十何ヵ寺の一つ」と続きます。

 

登場する「蓮華寺」は飯山市にある真宗寺がモデルとされています。飯山は今も町中に20以上の寺社がある、寺の町なのです。

 

飯山駅から寺巡りのハイライトコ-スでもある「寺巡り遊歩道」へ向かえば、まず駅の近くの仁王門へ立ち寄ります。

 

2体の仁王像は100年ほど前に長野県善光寺が飯山の仏師に依頼して製作されたものです。2011年に飯山市が寺の町のシンボルとしたものです。真っ黒い姿に鋭い眼光が光る、よそでは拝むことのできない仁王です。

 

寺巡り遊歩道は山裾の細道を行く静かなコ-スで、沿道の寺社は10か所以上あります。もちろん各寺にスタンプもあります。

 

正受庵は、江戸時代初期に「正受老人」の名で知られた僧侶である道鏡慧端(どうきょうえたん)が、座禅ざんまいの生活を送った庵といわれています。

 

飯山に生まれ江戸で修行を積んだ正受に対して、飯山藩主は厚遇を申し出ますが、それを断っての質素で仏道に励む暮らしだったといいます。それは、臨済宗中興の祖といわれる白隠(はくいん)が弟子であったことからも想像できます。

 

江戸末期に再建されたという本堂は簡素な造りをしていて、境内には正受の墓石や座禅石などが残っています。

 

江戸時代の飯山は4万石ほどの城下町でした。藩主の松平氏と本多氏の菩提寺が忠恩寺です。壮大な本堂に、大樹の茂る境内、背後の丘陵地に広がる墓地など、いずれも格式の高さを感じさせる寺です。

 

その忠恩寺の隣は、称念寺です。「カエデ寺」とでも名付けたいほど境内にはカエデの木が茂っています。寺の美しさを「春は若葉のカエデ、秋は紅葉のモミジ」と表現した人もいたとか。

 

さらに遊歩道は、明治時代に日本にスキ-を伝えたというオ-ストリア・ハンガリ-帝国のレルヒ少佐ゆかりの妙専寺、飯山のかんがい工事に尽くした野田喜左衛門の墓がある本光寺などを巡っていきます。

 

途中にある寺巡りお休み処、奥信濃には金箔張りのトイレがあり、壁も天井も見事にピカピカの金色です。寺の町、飯山は仏壇作りも盛んで、その技術を使って作られました。

 

雁木通りという通りには伝統産業である仏壇、仏具店が10軒近くもあり、「仏壇通り」の名もあります。飯山仏壇は金色の蒔絵や金具と、複雑な組み物の宮殿などが特徴で、まるで芸術作品を見ている錯覚にとらわれます。

 

その仏壇通りの歩道を覆う雁木は、冬の豪雪を避ける飯山ならではの風物詩であり、寺と何軒もある菓子店とも相まって、島崎藤村はこの町をこう呼んだのでした・・・

 

「雪国の小京都だ・・・」


破戒 (まんがで読破) [ 島崎藤村 ]

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