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歴史

地獄に堕ちた紫式部、髑髏となり果てた小野小町

いまも祟り続ける大怨霊・平将門、髑髏と成り果てた小野小町、美少年天狗に試された武田信玄、池の水を全部抜いた織田信長、徳川家康のもとに現れた謎の「肉人」・・・。それは教科書には決して載ることはありません・・・怪談や妖怪、都市伝説が好きな人たちよ・・・今宵もまたここへきてしまいましたね😱

 

アンタも好きね・・・😅

 

◎小野小町(9世紀頃)

平安時代の歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人に名を連ねる。仁明天皇、文徳天皇の後宮に仕えた。絶世の美女であったと伝えられ、恋愛に関する逸話も多く、多くの物語の題材にもなった・・・

 

髑髏となり果てた伝説の美女・・・

 

『江家次第』、『古事談』などには、小町の髑髏と在原業平にまつわる以下のような話が載っています。

 

業平が一条天皇の皇后を連れ出そうとしてその兄たちに取り戻され、罰として髷を切られて平安京から関東方面へ出奔した時のこと。奥州八十島にて宿を取った夜中、「秋風の吹く般毎に穴目穴目」(秋風が吹くたびに、目の穴が痛む)という和歌の上の句を詠む声が聞こえてきたといいます・・・

 

業平が声のもとをたどってみると、そこに人の姿はなく、眼窩から薄の生えた髑髏があったのです。奇怪に思った業平がこの髑髏について人に尋ねてみると、ある人が言うことには「小野小町は、この国に下向して生涯を終えたと聞いています。その小町の亡骸が、あの髑髏なのです」と答えた・・・

 

それを聞いた業平は哀れに思い、彼女の詠む上の句に対し「小野とはなくし薄おひけり」(小野とは言うまい。薄が生えているのだから)と下の句を詠み、小町への慰めとしたといいます。

 

また、小町の墓であるとの謂れが残る山形県米沢市の美女塚周辺にも、彼女にまつわる数多くの伝説が残っています。

 

小町の怨霊の祟りによって鬼面川に生える葦は全て片葉であるという話や、昔は怨霊を鎮めるための人身御供として鬼面川で何人もの子どもが溺れたという話や、美女塚に埋められた小町の髪が蛇になった話、この塚の周りを片足が不自由な人の真似をして3周すると小町の亡霊が出るという話などがあるのです😱

 

◎紫式部(973~1014年)

平安時代の物語作者、歌人。藤原為時の娘として生まれ、藤原彰子に仕えた。長編物語『源氏物語』を著した他、三十六歌仙の一人に数えられるなど和歌でも有名・・・

 

『源氏物語』は世の儚さを伝えるためなのか・・・

 

紫式部の代表作である『源氏物語』では、主人公・光源氏の恋人の一人である六条御息所が、嫉妬のあまり無意識のうちに光源氏の正妻・葵上を祟る場面が有名です。六条御息所は死後も紫の上や女三宮など、源氏の妻に次々と取り憑き、光源氏への恨み言を述べたとされています。

 

また『紫式部日記』では、主人である藤原彰子の出産の際、物の怪たちが彰子に取り憑いた様子が描かれています。

 

『今鏡』などでは、紫式部は死後、『源氏物語』で色恋の絵空事を書き、多くの人々を惑わせた罪で地獄に堕とされたと語られているのです。これは能『源氏供養』(『紫式部』とも)の題材にもなっています。

 

『源氏供養』では霊となった紫式部が登場し、石山寺に赴く途中の安居院の法師に光源氏の供養を頼んで消えます。法師が供養を始めると、紫式部は在りし日の姿で現れ、舞を舞った後に自らの思いを巻物にしたためて法師に託すのです。そして夜明けと共に浄土に生まれ変わることができたと告げたのです。

 

実は彼女はこの世の儚さを伝えるべく現れた石山観音の化身であり、『源氏物語』もこの世の儚さを知らせるために紡がれた夢の物語であったといいます。

 

石山寺は紫式部が参籠中に『源氏物語』を構想し、起筆したと伝えられる寺で、現在も紫式部ゆかりの寺、文学の寺として多くの文学者が参詣しています。

 

また、京都市北区紫野西御所田町に現存する紫式部の墓は、平安時代の公卿・小野篁の墓の隣にあります。先程の紫式部が地獄に堕ちたという伝説から、『源氏物語』の読者たちが地獄を行き来した伝説を持つ小野篁に彼女を救ってもらえるよう、彼の墓を紫式部の墓の隣に移動して祈りを捧げたとされているのです。

 

その後、篁が閻魔大王を説得したことで、紫式部は地獄から解放された、とも伝えられているようです・・・

 

以上、思い出したら、またここへきたれり😱

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