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オリンピック開会式で話題をさらったピクトグラムの必然性

1824台のドローンで描いた東京五輪のロゴマークがテクノロジーの象徴だったとすれば、パントマイムのパフォーマーたちが繰り広げたピクトグラムの再現劇は、アナログの力で笑顔を誘う力作だったといえます。青白のツートンカラーの着ぐるみをまとった演者が、開会式のステージに登場し、全50個の競技ピクトグラムをテンポよく再現すると、各国の選手団はキレの良い演技に見入ったのです。

 

米 ロサンゼルス・タイムズ紙はコロナ禍での開催を念頭に、「このような時勢を受け、(開会式の)『クリエイティブ』パートの雰囲気は、華やかというよりは思慮深く、祝賀ムードというよりは芸術本位であった」と総括しています。

 

そんななか、創意工夫でピクトグラムを再現する一幕は、一服の清涼剤となったかもしれません。米 ワシントン・ポスト紙は、「世界レベルのアスリートたち」が「ほとんど誰もいないアリーナを笑顔で手を振りパレードする」なか、「おそらく式典で最もエネルギッシュだった瞬間は、人間ピクトグラムの格好をした顔が見えないが活気に満ちたパフォーマーたちによって生み出された」と評価します。

 

当該箇所を切り出したNHKによる 公式映像は、YouTube上で10日間で1200万回以上再生されました。2021年に話題をさらったピクトグラムですが、オリンピックにおけるその歴史は、64年の東京五輪にまでさかのぼります。

 

そもそもピクトグラムとは、シンプルかつ明瞭に表現した図案によって、情報を伝達したり注意を喚起したりする手法のことです。文章を読むよりも素早く直感的に理解できる特長を持ち、交通標識や駅構内の案内板などに広く採用されているのです。

 

また、言語に依存することなく、誰でも理解できる点も大きな特色です。歴代のオリンピック大会中にも、世界中から集まるアスリートと観客たちに競技会場の場所や移動手段などを伝えるうえで、ピクトグラムは実に重要な役割を果たしてきたのです。

 

五輪への導入という意味では、1964年の東京五輪にピクトグラムを採用したデザイナーの勝見勝氏の功績が大きいとされます。米 スミソニアン誌は、64年の東京五輪でアートディレクターを務めた勝見勝(かつみ・まさる)氏とデザイナーの山下芳郎氏が牽引役となったと紹介しています。当該大会では競技を表す20種に加え、救護施設やトイレなどを意味する39種が開発されました。

 

誰にでもわかりやすいピクトグラムが五輪として初めて本格採用された理由には、世界でも数少ない漢字文化を持つ国だったという事情が大きく影響しています。建築とデザインを専門とする米 メトロポリス誌は、独自の言語システムを持つ日本だからこそ、オリンピックの開催国となるにあたって新たなコミュニケーション手段へのニーズが強かった、と分析しています。

 

同誌は「日本語は日本以外では広く使われていないため、オリンピック中のウェイファインディング・システム(標識などによる誘導システム)を、アスリート、ジャーナリスト、関係者、旅行客にとって判読可能とするため、別のコミュニケーション手段が求められたのだ」と述べ、「ピクトグラムの初の採用は、真のブレークスルーだった」と評価しています。

 

オリンピック以外での使用も含めた広義の「絵文字」に目を向けると、その発明はさらに時代をさかのぼることになります。

 

1920年ごろ、オーストリアの哲学者・社会経済学者であるオットー・ノイラートが、アイソタイプと呼ばれる図案をすでに考案しています。これにより、婚姻者数の変化や人口あたりの畜産の数など、社会的な動向を一般の人々にわかりやすく伝えることが可能になったのです。統計情報を図解するというコンセプトは、今でいうインフォグラフィックにも通じるものがあります。

 

また、歴代オリンピック大会においても、言語の壁をイラストで解決しようという発想は古くから見られます。1912年のストックホルム五輪ですでに絵による説明が試みられていて、1948年のロンドン大会では各競技を表す図案が本格的に採用されています。

 

ただし、これらは人物や競技の器具などをそのまま描いた、イラストに近い様式です。シンプルで統一的な図案にまとめ、より視認性の高いピクトグラムのスタイルが登場したのが、1964年の東京五輪からということになります。

 

その後、デザインのバトンは1972年のミュンヘン五輪まで引き継がれます。ミュンヘンではすでに高い完成度にあった東京五輪でのピクトグラムをベースに、45度の線に沿った直線的なデザインに昇華させました。

 

ピクトグラムを手掛けたのは、20世紀ドイツを代表するデザイナーのオトル・アイヒャー氏。スミソニアン・デザイン博物館の学芸員であるエレン・ルプトン氏は、スミソニアン誌に対し、アイヒャー氏がアルファベットの形状を理想としていたと語っています。その開発過程は、競技者のシルエットを使って新たなフォントを製作するかのような作業だったといいます。

 

2021年の東京五輪開会式で話題をさらったピクトグラムには、1964年の東京五輪を含めたそれは興味深い歴史が存在していたのです👍

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