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あなたは知っていましたか? 戦場の「野戦病院」

急激な新型コロナウイルスの感染拡大で、大規模イベント会場や体育館を利用した臨時の医療施設の設置を求める声が上がっています。広いスペースにベッドを並べることで、集中的に医療を提供できる場所を確保することを目的として、これをメディアは「野戦病院」と表現して伝えています。

 

2021年8月18日には日本医師会の中川俊男会長が記者会見で言及し、同じ日に関西経済連合会の松本正義会長が提言書をまとめたことを公表。閣僚からも関連する発言が相次ぎ、そして25日に緊急事態宣言の対象地域の拡大を決定したあとの記者会見で、菅義偉首相が自ら「今回の感染拡大に際し、いわゆる野戦病院をつくるべきだ、こうした多くの指摘を頂いております」と明言しました。

 

これを受けて勢いづいたようにメディアは連日連呼する、この「野戦病院」という表現があまりに不適切で、強烈な違和感と嫌悪感を覚えるどころか、日本の首相の発言としては、あまりに無知をさらけ出しているような感じがします。

 

菅首相は「いわゆる野戦病院」という言い方をしているので、「野戦病院」と言ったときには、そのものに対する共通の認識が抱けるものと信じています。つまり言い換えれば、相手の想像と認識に委ねるあまりに曖昧で無責任な伝達方法です。

 

そこで菅首相がなにをイメージして「いわゆる野戦病院」と言ったのか、まったくわかりませんが、みなさんはそこからイメージするもの、現実の「野戦病院」とは何だと思いますか?

 

2021年夏は終戦から76年にあたります。かつて太平洋戦争で戦地に送られながら終戦後も復員を拒んで現地に留まって暮らした元日本兵たちがいました。なぜ、彼らは日本へ帰らなかったのか、その理由は、分かりません。しかし、この先の文章からその理由を見つけ出せるかもしれません・・・

 

そのうちのひとりに、中国を転戦して最後はインパール作戦に従軍した衛生兵がいました・・・

 

時は太平洋戦争時まで巻き戻ります・・・

 

インパール作戦には日本陸軍の3つの師団が動員されました。インドの要衝インパールを目指したのは第15師団と第33師団。彼が所属していた第31師団はインパールより北に位置するコヒマを攻めました。だから「インパール作戦」と言われても、実際、彼にはピンとこなかったのです。それに作戦を開始した直後に、彼は負傷して前線を退きました。

 

作戦開始から6日目。衛生兵として戦闘を注視していると、彼の背後で大きな爆発が起きました。おそらくは敵の迫撃砲だろう・・・それで身体が前に大きく吹き飛ばされると、熱い痺れのようなものが走り、負傷した首と腰から全身に広がって動けなくなってしまったのです。顔見知りの衛生兵が駆け寄って処置してくれましたが、その相手の頭にも包帯が巻かれて血が滲んでいたのです・・・

 

彼はそこから自力で密林のなかを一昼夜さまよって後方の収容所に辿り着くと、トラックで病院に運ばれることになったのです。ところが、その荷台に揺られている途中で敵機の急襲を受けます。とっさにトラックから逃げて回避したところで、もう身体が動きません。再び荷台に戻されると彼はそのまま意識を失っていました・・・

 

気が付くと、彼は「野戦病院」のベッドで横になっていました。そして、そこはお世辞にも病院と呼べるようなところではなかったのです・・・

 

彼が寝かされていたのは、密林に覆われた山岳地帯の丘陵の斜面の一部をL字型に削り取って平らにしたところに、敵兵の残していった毛布を拾って敷いただけのところだったのです。上には天幕を張って、日除け雨除けにし、上空からは見えないようにカモフラージュしています。あとは吹き曝しです。こんな「ベッド」が数個ずつジャングルの山中に点在していました。これを日本軍は「病院」と呼んでいたのです。

 

彼が寝かせられたところは、3人が一緒でした。しかし、医者も衛生兵も誰も来ませんでした。介護にも診察にも来ません。そのうちに、隣に寝ていた兵隊が死んでいくのです。声すら出さずに、静かに死んでいくのです。気が付くともう死んでいるのです・・・

 

それから、もう反対側の隣にいた負傷兵が死にました。

 

「水をくれ・・・、水をくれ・・・」

 

すぐ隣でそう叫びながら、死んでいきました。

 

山中に捨て置かれるようにして広がる日本軍の野戦病院の「病室ベッド」。ようやくにして辿り着いたこんな場所で、たった1人残された彼自身も、容態の変化に気付いていました。そして「次は自分の番だ、次は自分の番に決まっている・・・」と心の中で叫びつつ、いつしか意識が遠のいていきました。

 

幸いにして、彼がそこで死ぬことはありませんでした。奇跡的に体力で持ち堪えたのです。そこへ独断で撤退をはじめた佐藤幸徳中将の率いる第31師団がやって来ます。傷ついた衛生兵は本隊に合流して後退をはじめます。そこからの餓えと病魔で多くの兵隊が命を奪われた『白骨街道』とも呼ばれる悲惨な道すがらは、史実にあるとおりです。

 

インパール作戦で敗走をはじめた別の日本兵は、マラリアに冒されていました。もう少し行ったところに「野戦病院」があると聞いて、それを頼りにしていました。ところが、やっと辿り着いた「野戦病院」という場所には、廃墟に死体しか横たわっていない墓場だったのです・・・

 

生き延びた彼の姿は故郷日本にはありませんでした・・・そして・・・

 

「『天皇陛下万歳!』なんて言って死んでいく者なんて、ひとりもいなかった・・・」

 

彼はつぶやきました。

 

「なんなのでしょうね、よく映画を見たりすると、必ず日本兵は『天皇陛下万歳!』と言って死んでいく・・・どうしてあんなことになるのか? まず、そんなことはありえない・・・」

 

彼のその顔には苦笑が浮んでいます。その次の瞬間、語気を強めて、

 

「私は聞いたことがない!」

 

そう言ったかと思えば、思い出したようにこう続けました。

 

「みんな最期になると、妻の名前を言ったり、子どもの名前を言ったり、それはあった。親のことを呼ぶ人もいたし、思い出すんだろう・・・。衛生兵として、最期を看取ることもあって、知った。・・・やりきれない・・・気の毒だ」

 

彼は衛生兵の宿命として、多くの死を見届けて来なければならなかったのです。

 

「大概は『水をくれ』と言って死んでいく、そういう人は少なくなかった・・・」

 

その1人が山中のベッドの隣で死んでいった同胞だったのです・・・

 

そして、コロナ禍の現代。「いわゆる野戦病院」、それは元日本兵が見た事実。そこは安寧の場所でもなければ、より死と隣り合わせであることを意味付ける場所。医療資源の絶対的な不足から、救える命さえ救えなかった場所なのです。

 

それはもっと違ったところで、原爆の投下された直後の広島の医療現場はどうだったのでしょうか。都市が消滅した片隅で、酷い火傷を負った市民が横たわった場所・・・あれだって野戦病院と呼ばれるべき場所です。

 

もし、みなさんが、広くて天井が高い建築物の空間の中に、ベッドだけが整然と並べられて、その間を白衣の天使のような女性看護師が往来している場所を「野戦病院」とイメージしているのだとしたら、まったくの的外れなのです。

 

それは遙か後方の傷病兵の医療施設であって、野戦病院とはいわないのです。それを野戦病院だと信じているのなら、おとぎ話の世界なのです。勝手な思い込みでメディアがミスリードしているのです。史実を歪めているのです。まるで日本人は誰もが「天皇陛下万歳!」と叫んで死んでいくものだというように・・・

 

ましてや、8月15日の終戦の日に靖国神社に玉串料を納めたばかりの現職の首相が、臨時に設置する医療施設を「いわゆる野戦病院」と国民に呼びかけてはいけないのです。

 

実態はもっと壮絶な場所。そこで失われた尊い命も多いのです。それでも魂だけは祖国に帰れると信じたのです。その御霊が招魂されて、家族や戦友に再会できると信じて当時の彼らは戦い、命尽きたのです。

 

「いわゆる野戦病院」・・・その言葉は私たち、そして何より戦没者たちを冒涜しているのです・・・

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