「そして男は時計を捨てた・・・」にようこそ!

このブログサイトは、みなさんの知識や情報、その他のことを入手するお手伝いをするブログサイトです。

テ-マを設けずに、さまざまな事柄を書いていきます。ごくまれに私的なことも織り混ぜていこうと思います。

ぜひ、このブログを活用していただけたら、うれしく思います。ただし、このブログには画像は一切ありません。文章のみのミニマムなブログになっています。文章のみでみなさんに伝えていきます。

毎日1~2記事を更新していきます。土、日は更新は多めとなります。

「そして男は時計を捨てた・・・」を今後も末長くご愛読ください😉




スポ-ツ

「夏の甲子園」で起きた“伝説の大逆転劇”

大差リードを終盤にひっくり返す大逆転劇は、野球の最大の醍醐味といえます。高校野球夏の甲子園大会でも、“伝説の大逆転劇”がいくつも存在しています。延長イニングでの6点差をひっくり返し、“逆転の報徳”の名を生んだのが、1961年の1回戦、報徳学園vs倉敷工の試合です。

 

報徳学園・酒井癸三夫、倉敷工・永山勝利両投手は、ともに決定打を許さず、0対0のまま延長戦へもつれ込みました。10回裏、報徳学園は1死一、二塁のサヨナラのチャンスも無得点。代打が送られた結果、セカンド、ショート、ライトを入れ替えたことが、守乱を誘発します。

 

11回、倉敷工は1死一塁で槌田誠が遊ゴロ。しかし、併殺を焦った二塁手が送球を後逸し、一、三塁とピンチを広げます。さらに、敬遠の満塁策も裏目に出てしまい、松本芳男の二塁打で2点を失ったあと、本塁野選や一塁悪送球などミスが相次ぎ、6点をリードされてしまいます。

 

誰もがこの時点で「勝負あった」と思ったのです・・・

 

ところが、報徳学園もその裏、敗戦を覚悟した沢井謙良監督が思い出代打で起用した平塚正の三塁内野安打をきっかけに2点を返し、なおも2死三塁と食い下がります。

 

この場面で倉敷工・小沢馨監督は、疲労した永山に代えて、7月初めに右鎖骨を骨折したエース・森脇敏正をリリーフに送りました。しかし、「あと一人なら何とかなるだろう」という温情采配が試合の流れを変えるのです。

 

1ヵ月のブランクがあり、本調子ではない森脇は四球と安打で3点目を失い、1死も取れず降板。疲れを押して再登板した永山も、押せ押せの報徳打線にのみ込まれてしまい、3連打と本塁への返球を捕手が後逸する痛恨のミスで、6対6となってしまいます。

 

こうなれば流れは報徳学園。12回1死満塁から貴田能典の右前タイムリーで劇的な逆転サヨナラ勝ち!😊最後まで勝負をあきらめなかったナインたちが起こした奇跡に、沢井監督は「こちらが生徒たちに教えられた」と感激しきりだったのです。

 

一方、温情が裏目に出て、九分九厘勝っていた試合を落とした小沢監督でしたが、試合後、選手たちから森脇を登板させたことに対して感謝の言葉を贈られたといいます。

 

報徳学園の史上最大6点差逆転劇の大会記録が更新されたのは、1993年の2回戦、徳島商vs久慈商の試合でした。

 

徳島商のエース・川上憲伸は立ち上がりから球が走らず、初回にいきなり3失点。2回にも自らのエラーをきっかけに失点し、5回にも3安打を集中されるなど、7回を終わって0対7の大差がつきました。地方予選なら、この時点でコールドゲームです。

 

しかし、野球は最後の最後までわからないのです。8回1死から徳島商の怒涛の猛攻が幕を開けます。高松俊輔の二塁打を皮切りに、4番・川上ら中軸の4連続長短打で3対7。7回まで好投を続けていた久慈商の技巧派左腕・宇部秀人が疲れから制球を乱し、球が高めに浮き出したことも大きなプラス材料になりました。

 

さらに連打で2点差に詰め寄ったあと、2死一、二塁からこの回2打席目の利光恵司が左越えに二塁打して、ついに同点に追いついたのです👍

 

勢いに乗った徳島商は9回1死一、二塁、平山貴郎が左中間を破り、奇跡の逆転サヨナラ勝ち!「あと5人で完封」の7対0から悪夢の大逆転負けを喫した悲劇のエース・宇部は「甲子園は何が起こるかわからないところでした」と肩を落としました。

 

2016年にも2回戦で最大7点差をつけられた東邦が、4対9の9回に6安打を集中して逆転サヨナラ勝ち!ミラクルを期待するスタンドの手拍子の嵐のなか、八戸学院光星の投手が「球場全体が敵に見えた」と重圧に押しつぶされた結果でもあり、改めて“甲子園の魔物”を実感させられました。

 

そして、スーパーヒーロー・松坂大輔の圧倒的な存在感が大逆転劇を呼んだのが、1998年の準決勝、横浜vs明徳義塾の試合です。

 

春夏連覇を狙う横浜は、前日の準々決勝、PL学園戦で大黒柱の松坂が延長17回250球を投げ抜いた疲れから、連投を回避せざるを得なくなりました。一方で、悲願の全国制覇まであと2勝に迫った明徳義塾・馬淵史郎監督は、松坂抜きの横浜なら勝機は十分あると確信し、「お日さんが西から昇らなければ、お前たちは勝てる」とナインたちを鼓舞したのです。

 

その言葉どおり、明徳打線は横浜の控え投手2人に7回を除く毎回の14安打を浴びせ、6対0と一方的にリードしました。

 

しかし、松坂は「それでも負ける気はしなかった」と右腕にテーピングしたまま、5回からブルペンで投げはじめたのです。7回まで散発の3安打に抑えられていた横浜打線も8回、「松坂をもう一度マウンドに!」と“つなぐ意識”で心をひとつにして、エラーをきっかけに4点を返します。4対6。試合はもうわからなくなっていました。

 

そして9回、松坂がテーピングを外してマウンドへ。まるで千両役者を迎えるように、スタンドから大歓声がわき起こります。明徳ナインたちにとっては、「お日さんが西から昇った」瞬間でもあったのです。

 

「(9回裏の攻撃で)いいリズムで打てるよう、力を込めて投げた」という松坂が15球でスリーアウトを取ると、その裏、後藤武敏の中前2点タイムリーで一気に同点に。なおも、2死満塁で柴武志の打球が二塁手の頭上を越えた直後、まさかの大逆転負けを喫した明徳ナインは地面に突っ伏し、しばらく起き上がることができなかったのです。

 

あれから23年が経ちました。決勝でもノーヒットノーランの快投を演じ、甲子園の主役の座をほしいままにした“平成の怪物”も、ついに今季限りで現役生活に終止符を打つことになったのです。

 

最後に・・・夏の日の感動をありがとう😉

ABOUT ME
makoto
「そして男は時計を捨てた・・・ひとり編集長の冒険」を運営している、ひとり編集長のmakotoです。 「そして男は時計を捨てた・・・」を活用して知識や情報を深めていきましょう!新聞を読むような感じでペラペラめくってみて下さい。 そして、自分の大好きな方に知識をシェアしていってください👍 ひとり編集長と情報の冒険をしましょう😃どうぞよろしくお願いします👍