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歴史

「向田邦子」没後40年・・・「昭和の息づかい」に寄り添って

持ち前の観察眼で世情を活写し、傑出したドラマを世に送り続けた作家向田邦子。飛行機事故による突然の死から、2021年8月22日でちょうど40年を迎えました。「昭和の息づかい」に寄り添い、人間の営みを丹念に描いた作品は今なお色褪せることなく、令和を生きる私たちの胸に鳴り響きます。

 

取材旅行で台湾へ赴いた向田邦子が、そのまま帰らぬ人となったのは1981年夏のことです。遠東航空機が墜落し、乗客乗員110人全員が亡くなる大惨事でした。

 

その51年余りの生涯で編み出された作品は時代を超えて茶の間で親しまれてきました。

 

従来のホームドラマといえば『肝っ玉かあさん』『ありがとう』など、母親を中心としたものでした。そんな中、同じく家族を扱いながらも父親にスポットを当てたのが、向田ドラマの目新しさです。

 

1974年の『寺内貫太郎一家』の主人公、小林亜星演じる貫太郎は曲がったことが大嫌いながんこ親父です。喧嘩っ早くてすぐにちゃぶ台をひっくり返し、西城秀樹演じる長男と取っ組み合い、なだめる妻をぶっ飛ばし、最後は息子を庭に投げ棄てます。今だったらDVで訴えられるかもしれない😅

 

それでも、貫太郎は今なお魅力的に映るのです。

 

言動は乱暴極まりないですが、そこには家族への愛情が滲んでいます。古き良きがんこ親父は、どの世代が見てもなぜか懐かしく憎めない存在です。まさしく私たちの“心のふるさと”なのです。

 

テレビドラマ黄金期の先駆けであり、1971年から手掛けた「時間ですよ」(TBS系)も、世間を大いに沸かせました。

 

堺正章さんと樹木希林さん(当時は悠木千帆)の掛け合いが絶妙で、家族の絆が細やかに描かれた作品でした。軽快なバラエティのようでありながら、見終わった後で余韻が残り、人生について考えさせられるドラマ。そうしたものが、後年の向田ドラマで花開いていったのかもしれません。

 

例えば1979年からNHKで放映されたドラマ「阿修羅のごとく」では、

主人公は4姉妹ですが、陰の主役は佐分利信が演じる父親です。実直なお父さんに愛人と子どもがいるところから物語は始まります。佐分利は口数が少なくて何を考えているのか分からないのですが、時折ボソッとひと言ふた言口にして、それが波紋を呼び、物語が動いていきます。

 

向田ドラマに登場する父親には、多かれ少なかれ彼女自身の父親が投影されているかもしれません。それは寡黙で、自分の気持ちを素直に表わそうとしない戦前の男です。それでも、ふとした時の表情やしぐさで分かる瞬間があります。彼女はそういった場面を、実に見事に描いてきたのです。

 

また、彼女は人の美しい面だけではなく、ドロドロした醜さを表現するのが非常に上手いのです。これらをストレートにではなく、間接的によい塩梅として描きます。なので、イヤな感じがしないのです。

 

昭和初期の山の手を舞台にした「あ・うん」(80年にNHKで放映)では、

戦争特需でのし上がり、妻以外に何人も愛人がいる門倉という男が登場します。本来、女性だけでなく男性からもあまり好かれないキャラクターのはずですが、皆なかなか憎めず、好きになってしまいます。こうした描き方を生み出すのは、ひとえに彼女の観察力の賜物です。

 

男性ではなかなか気付かないような箇所にも目が行き届き、大きく膨らませます。頭で思い描いた観念から入るのではなく、丁寧に対象を観察し、感じたことを綴ってきたのです。

 

彼女は優れた観察眼の持ち主であり、また“懐柔の達人”でもありました。彼女が親交のあったテレビプロデューサーの石井ふく子さんと初めて仕事を一緒にしたのは、杉村春子が出演した東芝日曜劇場『母上様・赤澤良雄』(76年)でした。

 

石井さんは、“オリジナルでお好きなものを書いてください”と向田さんにお願いし、それを彼女は快諾しました。周りからは“とにかく筆の遅い人だから覚悟して”と言われたそうです。しかし、その時はほとんど遅れず、翌年は『花嫁』という作品もお願いしました。ところが、今度は待てど暮らせど原稿が届かない・・・“ああ、これか”と、石井さんはようやく理解ししたそうです。

 

石井さんはそれからは、撮影時期をあえて伝えず、“今日こそは”という日に自宅に原稿を頂きに伺うようにしたそうです。しかし、抜き打ちで訪ねていくと彼女は手料理を用意していて『そろそろ来ると思っていたのよ。食べていって』と誘ったのだそうです。

 

彼女は“危機察知能力”も頭抜けていたのです😊

 

手料理をご馳走になりながら『今度、下町を舞台にした話を書きたいの。教えてちょうだい』などと、次から次へと質問が飛んできて、気づいたら夜中の2時。慌てて石井さんがおいとまを告げると『あらそう残念ね』と、送り出されてしまいました。それで帰宅してから、“しまった、また原稿をもらいそびれた”と・・・なるのです。

 

これでは敏腕プロデューサーも形無しです😅しかしその筆致は、唯一無二だったといいます。

 

現場で“参った、もう間に合わない”と弱り切った時になって原稿が届いたといいます。それがまた素晴らしく、ヤキモキなんて全部吹き飛んでしまうくらいの、だからその原稿は“ラブレター”と呼ばれていました。

 

そして、そのラブレターには彼女でなければできない描写の数々が、きっと今現在もどこかの家庭で繰り広げられているはずの会話、セリフの一つずつに血が通っているそんな現実感のある原稿を書いていたそうです。

 

その眼差しは、細部にも遺憾なく発揮されました。ドラマの現場で「消え物」と呼ばれる撮影用の食事を半世紀にわたって担当してきた料理人の平山登世子さんは、こう明かしています。

 

「献立は消え物を作る私が大抵考えていたわけですが、例外もありました。向田邦子さんです。彼女の脚本だけは、「おしんこはキュウリの漬け物で」といった具合に細かく指定されていた。ディテールのリアリティにこだわる向田さんらしいですよね」

 

それはまるで、日々の何気ない食卓風景を疎かにしては時代の息づかいなど聴き取れない・・・とでも言いたげに。

 

向田邦子。その不世出の作家は、それを一番知り尽くしていたのでしょう👍


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